私は柴犬と暮らしています
初代を1歳5か月で不慮の事故で亡くし、同じブリーダーさんから血縁の繋がる同じ♂柴を去年の暮れに迎え入れました。
二代目空(くう)です。
初代の空は外飼いでしたが、二代目は寒い時期だったこともありこのまま内飼いになりそうです。
人間も犬も哺乳類なので、哺乳類としての共通点がたくさんあり、家の中で一緒に暮らしているとなるほどなぁ・・と人間が現代の文明社会のなかで失ってきたものに気づかされることがよくあります。
「人間は本能の壊れた動物」というのは、「唯幻論」の岸田秀先生が繰り返し論じられたことですが、インターネットやスマホの導入によって、それは加速度的に進んでいるように思われます。
そしてコロナによる影響により、更なる生活様式の変化を強制され、人間にとって自然なことって何だろう…とわざわざ考えさせられることも多くなりました。
哺乳類の身体は、基本的に柔らかいです。
リラックスして、ゆっくりと寛いでいます。
でも、なにか普段と異なる音がしたり、知らない人が入ってくると、身体は硬くなり、耳を立て、身体に力が入っていつでも次の行動に移れるように、身構えています。
そして警戒モードが解けると、また力が抜けてリラックスしています。
現代女性のからだを診ていると、常に交感神経優位の緊張警戒モードにスイッチが入っていて、
副交感神経優位の時間が圧倒的に短いです。
自宅にいて、一人の時間になっても、常にインターネットやSNSの情報の中にいて、気軽にショッピング…でさえ、それは何かを獲得しようという力の入る行為ですし、誰かの言葉によって「もっと頑張らなきゃ」とか「私はなんでこんなにダメなんだろう」とか、常に感情が揺さぶられ続けているわけで、起きている時間のほとんどを交感神経優位の時間として過ごしています。
感情が揺れているということは、脳は働き続けている、当然、目という感覚器官は働き続け、緊張し続けている、
しかも、同じ姿勢で、指先にも力が入ったまま…という、恐ろしく哺乳類の姿としては不自然な姿を続けているわけです。
施療室のベッドの上で、肩がこる、首がこる、眠れない…といった訴えの方に、力を抜いて下さい…と申し上げても、まず9割の方が抜けないのは、力が入ったままの状態が常態となっているからです。
人生100年といわれるようになり、100歳を越える元気な長寿者を見聞きすることも多くなりました。
今、100歳に手が届こうかという方の時代には、当然、インターネットもスマホもありませんでした。何かを手に入れようと思えば、歩いて動かなければならなかったでしょうし、仕事と言えば、身体を動かさないと達成できないことがほとんどだったでしょう。
戦争もあり、女性にとっては今よりも家事労働に時間も体力もかかっていた全く今とは違う時代を生きて来られての100年です。
これからも医療の発達によって100年生きることは当たり前になるかもしれません。
でも、今の元気な長寿者のように、自分のことは自分でできる、誰かの手を煩わさずに元気に生活できるか?
私も含めて、自信がない方が多いと思います。
命は授かったものです。自分で長くしたりできるものではありません。
でも授かった命を満ちたものにすることはできるでしょう。
逆説的ですが、満ちるためには欠けることが必要です。
月のように、満ちたり欠けたりすることが自然なのです。
朝起きて、力を入れて起き上がり、夜眠るときは全てを手放して力を脱いて休む。
日々、その単純な繰り返しです。
『明日死ぬとわかっていてもするのが養生』という言葉は五木寛之先生と帯津敬一先生が繰り返し唱えられる言葉です。
養生は一日で成るものではありません。
日々の地味な繰り返しです。
『ハレ』と『ケ』でわけると圧倒的に『ケ』に属することです。
犬を見ていると、『ケ』を実に豊かに生きています。
散歩に行くときは、からだに力が漲り、耳、鼻、目を全開にして情報収集に努めて生き生きと歩きます。
与えられる餌を存分に食べると、力を抜いて、安心できる場所で寛いでいます。
快食、快眠、快便。
そのリズムが整っているときには氣が元気に巡っています。
そのための第一歩のワーク。
まず自分のからだに力が入っているかどうかを確認しましょう。
入っていることに気づいたら抜きましょう。
力が入りやすい場所は何か所かありますが、まず今日は自分のからだを俯瞰して
全体的に今、入っているかどうか、それが抜けるかどうか確認しましょう。
わからない方は、どうぞ奈良女子養生舎にいらしてみてください。
女性整体師があなたのからだのどこに力が入っているかを教えてくれます。
女子養生の道、楽しくみんなで歩き始めましょう。